2017/02/27

セノグラフィーってなに?<歴史3>

『古代ギリシャのセノグラフィックな視点』

今回は古代ギリシャ人がパフォーミングアートの空間に創造したコーラ以外のセノグラフィックな発想の幾つかを、祭儀の場が劇場へと変化していく過程の中に見ていきたい。

<観客席の成立>
神殿と対応して舞踏用の”空なる場”コーラが出来上がると、それを取り囲むように観客のエリアが生成される。
ローマ時代の制度としての”劇場”に適するよう改変されてない、現存する最古の完成された空間はギリシャ、ペロポネソス半島の付け根にあるエビダウロスのパフォーミングアートスペースだろう。(1)(2)
(1)エピダウロスの劇場 BC4c ポリュクレイトスの設計(絵はがきより)
(2)エピダウロスの劇場(チケットより)

敢えて劇場と言わないのには理由がある。古代ギリシャでは劇場を意味するシアターの語源であるテアトロンとは観客席のエリアを意味したからだ。
観客の場であるテアトロンとコロスの場=コーラが組み合わさり始めてパフォーミングアートの空間が出来上がる。

<劇場の誕生>
ピーター ・ブルックが著書『何もない空間』で、演劇の原初は”人が一人いて空間を横切る、それをもう一人の人が見つめる、そこから演劇が始まる。”と語ったように、とてもシンプルだがそこには”観る-観られる”の関係性が必要だ。それがテアトロンとオルケストラの関係にあたる。(3)
(3)コーラからオルケストラとテアトロンへ(劇場の誕生)


ジャック デリダが語るように、それ自体では姿を見せないコーラであるが、テアトロンという明確にそれを境界づけるものと結びついたときオルケストラとなり、祭儀の場は演劇空間の場へと変化したのではないか。それと同時にコーラの”場なき場”としての神話的役割は終わり、その場はオルケストラという平土間のステージになっていったのではないか。”劇場”の誕生である。

<舞殿と能舞台>
これは、日本の神楽の舞殿からの能舞台への変遷と似ている。神楽の舞は神に奉納されるものなので、舞い手は神の方を向いているが、能舞台では神の見立ての姿である松羽目を背景に観客に向かい演じるようになる。(4)
(4)神楽の空間性と能の空間性(ITARUS)

ここに、神殿とコーラという関係で成立していた祭儀と、オルケストラとテアトロンとして成熟していく演劇との最初のセノグラフィックな断絶がある。

<自然への眼差し>
エビダウロスの空間は、緩やかな自然の斜面を利用して観客席が配置されている、その観客の視線の先には、舞台とともにギリシャの美しい山並みが見てとれる。
遠くまで借景のようなセノグラフィーが広がっている。(5)

(5)エピダウロスの劇場 借景のようなギリシャの山並み(ITARUS)

演者の声が風に乗って運ばれてくる。太陽の角度、湿気の分布、気流の流れを計算し絶妙に空間が設えられている。自然を巧みに読み解きそれに逆らう事なくシーニックに空間を布設する見事さ。
空間が劇場内部で完結しているローマ劇場とは、形は似ているが自然に対する思想がまったく異なっているのだ。ギリシャの演劇空間を語るとき、劇場建築というフレームだけでは捉えきれないシーニックな見方が重要だ。

セジェスタ、シラクーサ、タオルミーナ等。シチリアに残る古代ギリシャの劇場を巡った時、まずその環境の見事さに驚いた。起伏に富んだ乾燥した薄茶色の地形を巧みに利用し、遠くの山並み、地中海の碧い海、果てしなく澄んだ空、それらと対話するようにどの劇場も個性を持って佇んでいる。(6)(7)(8)


(6)シチリア・セジェスタの古代ギリシャ劇場(ITAURS)
スケッチした時の走り書きには、
『~Segesta~
海の見える劇場。背景は山と海。山頂の斜面を利用して築かれたギリシャ劇場。ここでどんな劇が上演されたのか。乾いた熱い日差しと静かな風の音を聞きながら』とある。

(7)シチリア・タオルミーナの古代ギリシャ劇場(ローマ時代に改変されている)
背景に海と右端にエトナ山の稜線が見える(ITARUS)
(8)タオルミーナの劇場を遠望する
海に突き出た丘の地形を巧みに利用した空間設計
(ITARUS)

古代ローマの建築家ウィトルウィウスが『建築書』で語るギリシャ劇場の作り方にこんな項目がある。

引用『建築書』
第5書第3章-2より
『また、南からの攻勢も受けないように備えるべきである。なぜなら、太陽が劇場の円形部に充満する時は、凹みに閉じ込められた空気は流動する力を失って反転し熱くなり、白熱の焦気となり、身体から湿を追い出し減少させるから。そんなわけで、この点で欠陥のある方角は避けられ、健康的な方角が選ばれるべきである。』 

地形、太陽の角度と温度湿度の関係、それによる身体への影響を読み解き設計されている。

<大道芸の空間から>
完全な円形だったであろうコーラ。では、観客席・テアトロンはどのような形態をしていたのだろうか。
それを考えるには、大道芸の路上パフォーマンスの空間の生成を観察すると面白い事に気がつく。
パフォーマーが道端で準備を始める。何か始めるのかな?と人が三々五々集まってくる。ただ最初、彼らはちょっと距離をとっている。真正面よりはちょっとはすの位置から事態を見つめる。その方が対象がより立体的に見えるし、観る側の心理としてはアノニマスなひとりだという安心感ができる。
パフォーマンスが面白ければ人だかりとなる。前の人はしゃがみ、後ろの人は自然と前の人の肩ごしにパフォーマーが見える位置を取る。その時、ちょっと客観的になって遠くから見つめてほしい。
恐らく人々はギリシャ劇場のような円弧状の空間配置を取っているはずだ。
しゃがんでいる人、立っている人、背伸びをしている人の順にひな壇状にならび、平面的には同心円を描き円弧状に並んでいるはずだ。
(9)
(0)大道芸の空間における人の集まりのイメージ図(ITARUS)

<220度の開きを持った観客エリア>
ギリシャ劇場の観客席の220度という扇型は、実は人間の視界の角度と関係している。
実験してみて欲しい。ちょっと変な人に見えるが、、。
顔を固定して耳の両サイドに自分の手をかざしてちょっと動かしてみる。
顔を動かしてはいけないが、眼球は動かして目の端にある対象を追って欲しい。耳の両サイドで動かしている手が視界の端に見えるはずだ。当たり前だが人間の目は横についている。そして顔が湾曲しているため、180度よりも若干広い220度くらいの視野を持っている。古代ギリシャの円形劇場の客席エリアの広がりは、まさにその角度なのだ。(10&11)



(10)人の目の視界のエリア=220度(ITARUS)


(11)古代ギリシャ劇場の空間的特徴(ITARUS)

<サイトライン>
セノグラフィーのデザインを考える時、人間の目がどれくらいの高さにあり、どれくらいの視野を持っているかを考える事はとても重要だ。サイトラインという発想だ。水平における視界の範囲をホリゾンタルサイトライン、垂直におけるそれをバーティカルサイトラインという。図面を描く時にまずそのサイトラインの広がりと限界のイメージを持つ事が重要だ。

エビダウロスのパフォーマンススペースに限らず古代ギリシャの劇場は、とても見事なサイトラインになっている。
前の人の頭が舞台を見た時に被らないように考えられている。また足が収まり易いように
えぐれていたり、水はけも考慮して設計されている。(12)

(12)水はけ、足の角度を考慮して彫られた客席(ディオニッソスの劇場)(ITARUS)
客席の奥行きの限界は、音響の側面から設計されている。等間隔で変化していく石張りのひな壇の段差は、音は水に投げ入れた石による波紋の広がりと同じように波のラインとして伝わると解っていたギリシャ人が、そのアイデアに基づきデザインしたという。
(13)

(13)波紋と音の伝わり方と劇場の客席の形態の関係(ITARUS)

さらに、声の響きの為に観客席に共振する壺を埋めたといわれるように、パフォーマーが喋る生声がよく聞こえる限界が最後列になるよう設計されている。ウイトルウイウスの記述には以下のようにある。

引用『建築書』
第5書第3章-6より
『声は、触れる事によって聴覚に感じられる空気の流れの気息である。これは無限の円い輪をなして動くーちょうど静かな 水に石が投げ込まれて無数の成長する波の輪が生ずる場合、場所の狭さがそれを遮るかあるいは何かこの波の模様が端まで 達することを許さない他の傷害がそれを中断するようなことがない限り、それは中心からどこまでも広く広がっていくこと ができるように。このような波の輪が障害物で中断される時は、最初に出た波が後続の波の模様を乱すであろう。』

実際にエビダウロスに行けば、観光客が本当に客席の一番奥でも演者の声が聞こえるか試している姿に会える。
私も訪ねたとき誰かがしゃべるその声が奥の高い席の方にいた私にま届いたのでびっくりしたのを覚えている。

<ウィトルウィウスの語るギリシャ劇場>
<癒しの空間>
先にも少し触れたが、最古の建築書を著したローマ人ウィトルウィウスがその著書の中でギリシャ劇場の建築にも言及している。(14)

(14)ウイトルウイウス『建築書』

ここでまず注目したいのは、建築書の中では劇場についての記述が、神殿、フォーラム(議場)の次にきているという点だ。それはこの時代、パフォーミングアートがいかに社会的に重要であったかの証しでもある。
おもな要点は、以下のよう。
『建築書』
第5書第3章-1 より
『フォルムが設けられたならば、次には不死の神々の祭日に催し物を見物する為の劇場にできるだけ健康な場所が選定されるべきであるー第1書に城市設定の際の健康性について記された通りに。 実に、催し物の始めから終わりまで妻や子供達と共に座りっきりの人々は面白さの虜となり、そして興にのって、身動き一つしない身体は血管が開いてその中に暁の気流が溜まる。もしこの気流が沼沢地の方角あるいは他の悪い方角から来るならば、毒気が身体に入り込む。だから、劇場に敷地が注意深く選定されるならば、この欠陥はさけられるであろう。』

そして、音の広がりに数学と音楽の理論を読み解き、観客席の段差を設計したという。
『建築書』
第5書第3章-8 より
それ故、昔の建築家たちは上昇する音を自然の足跡をたどって研究することによって劇場の階段席を造り上げた。かれらはまた数学者のカノーンと音楽の理論を通じてスカエナ(舞台背部)におけるどんな声も観客の耳にいっそう明瞭にいっそう爽やかに達するように努めた。ちょうどオルガンが青銅の薄片あるいは角製のエーケアイで絃と同じ明瞭な音を出すように造られているように、劇場の造り方もハルモニケーを通じて声を増大するように昔から定めらている。』

<ハルモニケーとしてのパフォーミングアート>
ハルモニケー、調和と訳すのがこの場合適当だろうか。音楽のハーモニーの語源だ。明瞭に爽やかに音を伝えること。そのために形、サイズを楽器のように整えること。観客席も1つの楽器、数学として発想されている。
ハルモニケーとは現在の音楽用語のハーモニーだけでなく、広く世界や自然と人間との調和を意味したという。
健康な場所、心地よく響く音。観劇という行為はアートセラピー的な要素があったのではないだろうか。
そして客席の形状は、ローマ劇場のような階級的区別はなく、単層急傾斜でどの観客にも等価で民主的な視界を確保しており、子供や妻、家族と共に観劇していたという。古代ギリシャにおける演劇とは、それを通して社会、環境、世界との調和を見いだす行為でもあったのだ。

<医者と舞台美術家>
エピダウロスの劇場を訪ねたとき、面白い体験をしたのを今でも憶えている。たまたま遺跡の中にあるレストランで、向かいに座ったアメリカ人と目が合いちょっと話しをしていると、彼は医者だという。医者がなぜ劇場の遺跡を見に来たのだろうか?興味をもったので、何故此処に来たのかと尋ねてみた。すると彼はこの地は、医神アスクレピオスの神殿があった所だという。当たり前だが、私は舞台美術を仕事にしているので、観光客はみなエピダウロスの劇場を観る為にここへ来ると勝手に思いこんでいたのだ。その時は劇場の他にそんな有名な神殿があったとは知らなかった。医者の神殿と劇場?どういう組み合わせだろうか?
先にも書いたように、ギリシャ劇場は必ず神殿と一緒にある。アクロポリスの丘の麓にあるディオニッソスの劇場、ここには、ディオニソスの神殿が近くにあった。
デルフォイの神域のアポロンの神殿とその上にある劇場。そしてエピダウロスの劇場と共にあったのは医神アスクレピオスの神殿だ。(15)

(15)医神 アスクレピオス (Wikipedia)より

アメリカ人の医者と日本人の舞台美術家が古代ギリシャの遺跡で会話をしている。現代人からすると、とても変な組み合わせだが古代ギリシャ人が見たらそれは普通の風景だったのかもしれない。
医術、数学、音楽等と観劇行為が離れがたく結びついている、古代ギリシャの英知のあり方に驚愕した瞬間だった。
参考文献 ウイトルウイウス『建築書』
ピーター ブルック『何もない空間』
ティドワース『劇場』
Oscar G.Brockett「Making the Scene』